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Posted by naturum at

2011年05月26日

あだ名って面白い。

相変わらず五十肩痛くてカヤックこげましぇん。そのうち釣りの話も書きたいっす。

といこうとで、昔話をひとつ。

小学校時代の同級生と会うといまだに当時のあだ名で呼び合うことが多い。

それにしても本名とあだ名の関係なさと言ったら、いろいろあって面白い。

サキウラくんは「サキイカ」という定番のあだ名から「いかピー」に変わり、最期には「ピー」。

呼びやすいけど、周りの人は意味不明でしょうな。

ナエシロくんは、当時キックボクシングで強かったタイ人に似ていることから、そのタイ人の必殺技「チャランボ」とつけられた。膝蹴りみたいなもん。それが少し縮まって「チャラン」。これも林家こん平みたいで意味不明。

一番ひどかったのが、ドウシタコーイチ君。

顔が丸いので「ドウシタコーイチマンジュウ」という長いあだ名だったが、それが「コーイチマンジュウ」になり、お約束の短縮型で「コーマン」。

石川ではみんな平気で呼び合うが、これを東京でやったときには、周囲が驚いた。

「コーマン、元気か。」なんてね。

ちなみに俺は旅館の屋号で「さわや」とか「ドジクボ」なんて呼ばれていた。よく転んだり、物壊したりしてたもんなあ。





PS 前回のブログで取り上げた大城蘭さんのお兄さんが自分の地元で働いていることが判明。
   これも何かの縁ですな。
   ということで、大城蘭さんの「サイド・バイ・サイド」

  
タグ :大城蘭


Posted by kubogon at 19:11Comments(0)お笑い

2011年05月23日

不思議な一日

土曜は不思議な日だった。

スクーターで走っていたら、蝶をはねてしまった。それもアオスジアゲハ。

スクーターの前に飛び出してきて、フロントに張り付いてしまったのだ。

そっと翅をはがして逃がしてやった。




あんまり天気が良かったので、片野海岸へ泳ぎに行ってみた。

すると多くの人たちが何か拾っている。





荒れた波で打ち寄せられたワカメとモズクだ。

近くのおばさんに袋もらって、いそいそと俺も拾い集めた。

天然のモズクで作った三杯酢の美味しかったこと。






海から帰ろうとしたら、富山ナンバーの車で東南アジア系の人たちが20名ほどやってきた。

海水浴の季節でもないのになんじゃらほい。

英語で聞いてみたら、マレーシア人だとのこと。

モズク拾いを聞きつけたか。




ということで、アオスジアゲハをはねて、モズクを拾い、マレーシア人の団体と遭遇するという世にも奇妙な土曜日でした。

今回のお薦めは「大城蘭」。

日本のノラ・ジョーンズと言われているらしい。

この曲好き。

「ビンセント」



こんなきれいな人です。

http://www.cdjournal.com/i/cdjpush/ohashiro-ran/1000000132
  
タグ :大城蘭


Posted by kubogon at 23:04Comments(0)人生

2011年05月16日

父の死

ついに父が死んだ。

呼吸不全に因る死だ。苦しい死に方だ。

13日の金曜日に葬儀をとり行い、つつがなく納骨まで終了した。

妹たちは棺に花を入れながら泣いていたが、自分の目から涙がこぼれることは一度もなかった。

小学校時代の旧友が受付をやってくれ、その後で棺を覗きこんで、「腹立つけど、おまえんちの葬式だけは泣いてまうわ。」とこぼしていた。

このときが一番ぐっときたかもしれない。

父に対して負の感情が多いことは前回のブログでも述べたが、今日は故人となったので、少し褒めておこう。

葬式の時に韓国の人や中国の人が遥か遠方からかけつけてくれた。

上海から飛んできてくれた人もいた。「おとうさんにはお世話になりました。」とのこと。

父は昔から外国人に世話を焼くのが好きで、カナダ人をホームステイさせたり、韓国の人を夕食に招いたりしていた。

自分が海外放浪に目覚めたのも、うちの娘が英語だけやたら出来るのも父の影響があるせいかもしれない。

彼は語学に堪能で韓国語も英語もそこそこ使いこなせていた。

幼い頃は、外人と英語で話す父を誇りに思ったこともあった。

人生のピークが30代で終わってしまった人だった。

さぞや無念な人生だったことだろう。

同じ轍を踏まぬように生きようと思う。

写真は36歳頃の俺。今に比べチョー若い。そして若干邪悪でとっぽい。


  

Posted by kubogon at 22:49Comments(0)人生

2011年05月09日

チチ、キトク

昨日の夕方、金沢の病院から電話があった。

「お父様の呼吸数が減少してきているので、すぐに来てください。」

慌ててかみさんと娘二人連れて病院へ。

大阪の妹にも連絡して至急向かうように伝えた。

筋萎縮性側索硬化症という難病で昨年末に倒れた父は殆ど植物状態だった。

体中の筋肉が衰えていく病気で、手の打ちようがない。現代医学でも治せない病気だ。

医者は春まで持たないといっていたが、もう五月。いつ逝ってもおかしくはない。

色とりどりのコードにつながれた父は、苦しいそうに息をしていた。

息をすることは息をしないことより大変そうであった。

近くの機器はピコピコと危険を知らせる異音を立てている。

医者も看護士ももうこれまでだと思っているのか、その程度は飛んでこない。

「おとうさん、いっちゃん来るまで頑張るんやよ。」と上の妹。

下の妹の到着までは生きていてもらいたいらしい。

何度か止まりかけた心臓がそのたびに息を吹き返す。

俺はもうこんな状態では、人としての尊厳も何もあったものではないので、早く楽になった方がいいのに、と冷ややかな心で見ていた。

父はある意味かわいそうな人だ。

両親と楽しそうにしている姿を見たことがない。

きっと愛された経験がないのだろう。人を愛する術を学んでこなかった。

母に迷惑かけるだけかけて、いろんなことから逃げ回っていた父。

舅や姑にいたぶられる自分の妻を見るのが嫌さに家に寄りつかないことも多かった。

そんなとき、いつも俺が間に入って母を守り続けた。孫という立場を利用してだ。

だから、俺は父には憎しみの感情しかない。

死にかけている父を見れば、涙の一つも出るかな、と思ってもみたが、まだ許せてないらしい。

家族から殆ど愛されることなく、ただ威張りちらして、周りの人からも敬遠されていた父。

弁がたつことが武器で、いろんな人を言い負かせて自分を誇示してきた父。

そんな父が一番最初に失った機能が話すことだったというのも、無理ないのかもしれない。

深夜まで呼吸を見守っていたが、下の妹の到着とともになぜか体調を復活させ、死ぬ気配を見せなくなった。

最期まで往生際の悪い男だな、とつくづく思う。

人にはいろんな人生があるが、やはり人から愛されるってことは大切なことである。

暗い話の後はお口なおしに、少女時代の新曲でも。



  
タグ :少女時代


Posted by kubogon at 18:41Comments(0)人生