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Posted by naturum at

2013年03月23日

殴り込みだよ、全員集合

昨日、入塾面談した際に、「ブログ毎日楽しみに読んでいます。一月の始めの頃とかずっと更新されてなかったですよね。」と言われた。

また一人読者発見。

こう言われると書かざるを得ないな。こんなオヤジの駄文でも喜んでくれる人がいる限り、続けるっきゃない。

前回、冒頭で書いた裸足で坂を駆け下りる娘さん、正体が分かった。

実は俺の元教え子で、長女の同級生。

高校の離任式に向かうために疾走していたとのこと。それにしてもさすがテニス部。ナイスラン。

結果として電車には間にあったということだった。おめでとう。


ここんとこ、ノスタルジックに中学時代を振り返っていたのだが、それなりに評判良かったのでもうひとつ。

あの事件の後、俺たちは無事中3になり、まあ怖いものなしに日々を過ごしていたわけで。

文化祭の打ち合わせと称して、友人ちに女子呼んでいちゃついたり、ベルボトムのジーパンに鋲打ってカッコつけたり、坊主アタマを少しでもかっこよく見せるために叱られるギリギリまで毛を伸ばしたり、たわいのないことに明け暮れる日々であった。

とある日の晴れた午後、自転車で街を流していると、むこうからヤバイ感じの連中が横一列になって歩いてきた。

手にチェーンや竹刀を持ち、Gメン75みたいに歩いてくる。まだ1974年だったけど。

慌ててUターンしようとしたら、「おい、ちょっとこっち来いや。」と呼び止められた。

そのまま行けば大変な目に遭うことは火を見るより明らか。

自転車を翻し、脱兎のごとく実家へ逃げ帰り、鍵をかけて二階から通り過ぎるのを見守った。

キンタマがきゅーっと縮こまり、自分がビビリだと気付いた瞬間であった。

翌日学校へ行くと、数人ケガして登校していた。休んでいるやつもいた。みんな俺の仲間だ。

エイジは股間を思う存分蹴りあげられ、かなり腫れたらしい。怖い怖い。

当時、山代中は中洲の中学についで日本ワルい中学ランキング第二位と言われていた。

そもそもそんなランキング、誰がどうやって作ったのかしらないが、二位ってのがミソで、何かリアルに怖かった。

漁師町の橋立中も評判が悪く、道で会っても眼を合わせてはいけないと言われていた。

そんな恐怖が日常にありふれていたあの頃、それなりにスリリングで楽しかったなあ。

写真は本文とは無関係のイメージ画像です。ww

画像


こういう昔話を授業ですると、子供たちは結構喜ぶ。

そこに自分たちと変わらない等身大の先生がいるからなのであろう。

温泉街で生まれ育つってなかなかない経験。それも旅館の息子だったし。

お座敷ストリップの赤や青の照明が障子からもれる中、俺はいい大人になっていった。

酔ったお客やそれの相手をする仲居さんたちから、人の寂しさや弱さを学んだ気もする。

そんな豊かな(笑)人生経験に基づき、シップス授業は成り立っている。

中3生定員50名のところ既に49名。もう一人しか入れません。

個人塾で一学年50人もいるところは県内探してもまずない。軽い自慢。

あなたも修羅場を乗り越えてきたビビリの塾長の楽しい授業を受けに来ませんか。

写真は三谷温泉のランプ。

画像

  

Posted by kubogon at 10:15青春

2013年03月22日

警察なんて怖くない?

さっきすごい光景を見た。

娘を駅まで車で送っていった帰り、松が丘の長い坂道をスーツ姿で駆け下りてくる若い女性がいた。

結構な幅のストライドで陸上部のように駆け下りていく。顔はひきつっていた。

驚いたことに両手にヒールの高い靴を持ち、パンストだけの裸足で全力疾走していたのだ。

確実にパンストの足の裏の部分は穴が開いているだろうに。

一瞬乗せてやろうかとも思ったが、そのやりとりの間に電車に乗り遅れてしまっては申し訳ないので、「頑張れ。」と心で祈って見送った。

きっと今日は大事な就職の面接でもあるのであろう。

こんな石川の田舎では電車一本乗り過ごすと次まで1時間は待たなければならない。確実に遅刻してしまう。

寝坊して慌てて走り出したのであろう。送ってくれる人もいないってことは一人暮らしか。

いろんなことを妄想しながら、いま帰って珈琲飲んでいる。


さて、お待たせした後日譚であるが、その便所呼び出し事件から一週間ほど経ったときのことである。

中学から帰宅すると、なぜだか母がニヤニヤ笑っている。

「まさひろ、警察から電話があって、今から駅のそばの警察署まで来てくれってよ。」

「えっ。何? なんで警察が。」

「知らんわ。はや行っといで。」

顔が少しこわばり、足がちょっと震えていた。ああ、何がバレたんだろう。

とりあえず自転車に乗り、警察署に向かった。どんどん膨らむいやな予感。

今までロクなことはしていこなかった。無免許でスーパーカブを友人と乗りまわしたり、旅館の女風呂覗いたり、友人ちで酒飲んだり、賭けマージャンしたり、いろんな悪さをしてきた。

かなりビクつきながら、警察の扉を開けるといかつい制服を着た警官がこちらへ来なさい、と言う。

ああ、やはり取り調べ室だ。こうなったら早く白状してしまおう。

「あのお、俺なんで呼ばれたんでしょうか。バイクの件ですか。」

「バイク?バイクがどうかしたのか。」

ああ、危ない。これじゃなかったらしい。

「いや、親戚のバイクがいたずらされたって・・・。えーっと、金沢に映画見に行った件ですか。」

その当時、「エマニエル夫人」というソフトポルノが流行っていて、それは高校生以上対象だったのだが、友人と高校生です、と偽って見に行ったのだ。窓口で坊主アタマを見とがめられたが、体の大きかった俺たちは「星稜高校野球部です。」と嘘をつき、見事見ることができたのである。あれはすごい興奮だった。

「いや、別にそんなことで呼んだわけじゃないよ。」

あれこれ考えを巡らせ、先に正解を出そうとする俺に、その警察官は笑って言った。

「久保田くん、そんなに心配しなくてもいいよ。君は被害者として事情聴取されるだけなんだから。」

ああ、なにい。俺は被害者か。やべぇ、いろいろ話してしまうところだった。

「この間、学校で先輩に叩かれたらしいね。あの時のこと詳しく教えてくれるかな。」

おおっ、あの件で警察が動いたのか。これは天が味方したくれた。

「はいはい、何でも話します。かなりひどくやられました。」

その時いた先輩の実名とされた行為を3倍増しにしてしっかりと警察にチクった。

最後に調書にサインして帰宅。

「どうやった?」と帰宅した俺にほくそ笑む母親。どうやら事情を知っていたらしい。

「いや、先輩にやられたこと聞かれただけや。」

そのままトントンと二階へ上がり、いつものように小説読んだ。

その翌日、中学では朝から中3対象の集会が行われた。

聞き耳立てていると、校長がこう言った。

「下級生に暴力をふるった生徒がこの中にいる。まことに情けないことだ。今後もしこのようなことを耳にすれば、その生徒の内申点はゼロにしてやるからな。つまり高校へ行けないってことだ。」

おおっ、さすが校長。ナイスな発言。これで卒業式までのんびり過ごせる。

その後、俺たちはかなり偉そうに校内を歩きまわることになった。

俺たちをシメた先輩たちは苦虫を噛み潰したような顔で見ている。

一度またやられそうになったが、「内申点ゼーロっ!」と叫ぶとしぶしぶ離れていった。効果テキメン。

ということで、この一連の事件は幕を閉じた。

前回この話を書いたとき、俺たちの少し上の先輩から、「あれは悪い風習だったから、俺たちもやめようとしたんだが。」とコメントいただいた。やはりかなり前から続いたいたようだ。

最近の中学ではこんな話を聞かない。ある意味ワルイ奴らは陰に隠れて悪さするようになってしまった。

分かりやすい不良があちこちにいて、番長なんて言葉もまだ生きていたあの頃が懐かしい。


ということでリクエストがあったので、後篇も書きました。お楽しみいただけたでしょうか。ww

写真はフィリピンで乗ったアウトリガー。

  
タグ :青春


Posted by kubogon at 09:38Comments(2)青春

2013年03月20日

中学の思い出

中学準備講座に来る生徒たちの何人かは、「中学の勉強についていけないと怖いので。」という理由で入ってきていたりする。

いつものことながら、そういう生徒たちには、「ついていけないことは絶対にないです。ついていく気がありさえすればね。」と優しくそして厳しい目で答えることにしている。

中学に入学する前の自分はなんだかとてもうきうきしていたような気がする。

英語の単語を10個ぐらい覚えていきがってみたり、新しく買ってもらったズックが嬉しくてあちこち駆け回ったりしていた。

実際中学は楽しいところで、先輩のイジメはあるし、隣の山代中から不良が竹刀とチェーン持って殴り込みに来たり、なかなかスリリングな毎日を過ごすこととなった。

中2のときのことだ。中3の卒業が近づくと、ある噂が流れ始めた。

「中3の悪い連中が、卒業前に中2の調子こいてるやつらをシメていくらしいぜ。」

よくお礼参りという習慣は聞くが、うちの中学には生徒が生徒をシメるというワケの分からん習慣があったのだ。

もちろん俺なんてマジメな生徒のはずはなく、悪い生徒上位5%には確実に入っていたし、職員に呼ばれる常連でもあった。

勉強だけはよくデキていたが、それ以外はまことにもって不真面目な生徒だったわけである。

若い女の先生が、産休のおばさんの代わりに来ると、階段の下で待ち構えていてスカート覗いたり、授業中にムチャな質問したりして泣かしてしまったこともあった。典型的なエロ中学生。(笑)

ケンカやカツアゲ、万引き、タバコはやらなかったが、友人ちで酒は飲んでいたし、賭け麻雀もやっていた。

負けたやつは支払えなくて、マンガ本を没収されたりして、それはそれでかわいい中学生活だった。

ある日、中3の手下みたいなやつがやってきて、「久保田、○○さんが技術室の近くの便所に来いって言うとるぞぉ。」と嬉しそうに伝えにきた。

日頃、俺らにおどおどしているクセにこういうときは元気いっぱいだな、この腰ぎんちゃく。

呼ばれた便所に行くと既におなじみの仲間が呼ばれていた。

岩村、塚田、平田、村井、村田、出口などなど。実名オンパレードだな、こりゃ。

今はみんないいオヤジになって、もう孫なんていたりする。ひとり死んじゃったけど。

とりあえず横一列に並ばされて、端から因縁つけられていく。俺は5番目くらいの位置だった。

「おい、ホック開けて何やっとんじゃい。」ボカッ。

「こんなズボンはいてきたら、いかんやろが。」ボカッスカッ。

「髪の毛が長いっ。」パチン。

自分たちが平気で校則違反しているクセに、俺らの格好に因縁つけては殴っていく。

ただ殴りたいだけなんだろう。

いよいよ俺の前にノータリンの顔をした俺より背の低い先輩がやってきた。

そしてジロジロ荒さがしを始めた。

当時既に175センチはあったので、大抵の先輩より俺はデカかったのだ。

うちのお袋が身なりには厳しかったせいで、因縁つけられる要素はひとつもない。お袋、ありがとう。

「このクソバカの低脳野郎、俺のどこに文句つけんだよ。」と心の中でほくそえんでいると、一言、

「おい、くぼたぁ、お前はなあ、目つきが悪いんじゃあ!」 ボグッ。

あ、そうきたか。そうきましたか。

目つきのこと言われてもなあ。直しようがない。(笑)

確かに読書家で哲学的なエロ中学生だった俺は大抵の人を小馬鹿にしていたきらいはある。

今でも時折そんな感じが出るのか、「あなたは何さまですか。」なんて言われたりするけど。

とりあえず一通りしばかれて解散。まあ、そんなにひどいケガもなく、どうにか通過儀礼が終わったという感じ。


「自分たちが3年で卒業するときは、下をシメるのはやめような。」とその日にみんなで語り合ったのである。

しかし、後年このことを後輩からなじられることとなる。

俺たちが一つ下をシメなかったばかりに、その学年が調子こきまくってしまい、二つ下の学年はひどい目にあったらしい。妹が二つ下にいたので、その同級生たちから、祭りのたびに文句言われることになってしまった。

そんなこと言われてもなあ。武闘派集団でもなかったし、暴力嫌いだもん。


実のところ、この事件にはなかなか面白い後日譚がついているのだが、続編をお望みの方はコメントしてちょうだい。ww

写真はこいこい祭りで三味線を弾く元きれいどころの芸妓さん。

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Posted by kubogon at 08:51Comments(1)青春

2011年06月02日

我がよき友よ

教え子の結婚式に呼ばれて久しぶりに上京した。

東京は浪人時代から37まで20年近く暮した街だが、見知らぬ街よりよそよそしい感じがする。

昔の男に冷たい女のような街だ。

まずは昔の教え子とランチデート。

10才の頃に教えていた少女がもう30過ぎたと言う。

「人生の節目節目に先生とお会いできていると思います。」

そう言えば前回会ったのは成人の頃。もう10年も前のことだ。

そのときは彼女の名前を入れたルージュをプレゼントしたらしい。すっかり忘れていた。

「今でも大切な場所にはそれをつけて臨むことにしているんです。」と彼女。

こんな男のささやかなプレゼントでも人の役に立つことがあると思うと嬉しい。

彼女は大学卒業後、塾講師になり、いろいろ苦労したとのこと。

「もっと大きくなってから、先生の授業受けたかったですね。」

人を育てるって本当にやりがいのある仕事だとつくづく思う。




その夜は大学時代の旧友と飲み会。

俺の結婚式以来23年ぶりの再会だ。

新宿アルタで待ち合わせてNSビルへ。久しぶり過ぎて迷子になった。田舎者はこれだから困る。

何年会ってなくても、どんなに離れていても友達は友達。

深いつながりと自分の青春時代を再確認できた楽しい飲み会だった。

大学時代って自分にとっての黄金時代だったのかもしれない。




みんな白髪も増え、体重や皺も増えたが、基本は何も変わっていない。

話すときのくせや声のトーンも相変わらず。

ずっと飲んでいたい居心地のいい仲間だ。

雨の新宿で別れて、それそれの家路についた。

今回はノラ・ジョーンズでしめくくり。



  

Posted by kubogon at 14:35Comments(0)青春

2011年02月04日

バレンタイデー

もうすぐバレンタイン。

自分の中2の頃からこの習慣が始まったように思われる。

かれこれ40年ほど前の話だ。

そこそこ気に入ってた子からチョコもらった。

「私は博愛主義者だからね。」と余計な一言付きで。

本人は照れ隠しのつもりで言ったらしいが、シャイな俺はかなり傷ついた。

毎年塾生の男子に何個チョコもらったか報告させている。

大半が0個。おいおい、一体何やってんだよ。

自分に息子がいて、バレンタインにチョコのひとつももらってこなかったら、俺なら怒鳴りつけるだろうな。

服屋でも連れて行って、モテそうな服をチョイスし、美容院で髪型も決めさせて、モテ男に変身させるかもな。

女性にモテない青春なんてありえないって。


幸いうちは娘二人。毎年この時期になるとせっせとチョコ作っている。

「おとうにもあげようか。」と優しい一言。でもな、ダイエット中なんだよ。

どうせなら紅茶にクッキーぐらいがちょうどいいかな。


俺の考えるマジチョコランキング。

1位、 手作りチョコ&メッセージ付き。  これはかなり本気モード

2位、 高級市販チョコ&メッセージ付き  大人に多いパターンですな。

3位、 手作りチョコのみ  多分本命の失敗作辺りがまわってきたんでしょう。

4位、 市販安物のみ    完全な義理チョコ。ないよりマシか。

とにかくメッセージなしは寂しいね。

今回はテイラー・スイフトのYou Belong With Me


  

Posted by kubogon at 16:37Comments(0)青春

2010年11月06日

浅草キッド

浅草キッドの書いた「キッドのもと」を読んでいる。

これは青春小説としては名著だと思う。

貧しかった二人の青春時代に自分の若い頃がオーバーラップして、少し泣けてきた。


西武線の六畳一間のアパートで、金はなく、時間だけはたっぷりあったあの頃。

あんまり腹へって、空き瓶拾い集めて酒屋に売り、インスタントラーメンで命をつないだとこもあった。

銭湯に行ったら、たまたま休みで、腹いせに玄関脇の水道で頭と体を洗って帰ってきたあの夏の日。





新青梅街道沿いで、交通量は激しかったが、恥ずかしいなんてちっとも思わなかった。

盗られるものがないので、部屋に鍵かけたこともなく、帰宅すると友人が勝手にテレビ見たりしていた。

床は全て新聞や衣類で埋まっており、歩くたびに何か割れる音がした。

それでもベッドの上だけは聖域で、ボズやマイケル・フランクス聞きながら、女の子といちゃついたりしたこともあったっけ。

何の根拠もない自信が腹の底の方で叫んでいた。「俺は特別だ。」


今、五十過ぎて、やれることよりやれないことの方が多くあるなんてことをたっぷり経験してきてしまったが、相変わらず、腹の底の自信だけはなくならない。

「やっぱり俺は特別だ。」

こんなタイプの人間は死ぬまで勘違いし続けて、それなりに幸せなんだろうな。

いいぞ、俺。



  


Posted by kubogon at 12:49Comments(0)青春