ナチュログ管理画面 海釣り・ソルトウォーター 海釣り・ソルトウォーター 北陸・甲信越 アウトドア&フィッシングナチュラムアウトドア用品お買い得情報
ブログ作成はコチラ
あなたもナチュログでアウトドア生活を綴ってみませんか?
にほんブログ村 釣りブログへ
にほんブログ村 にほんブログ村 釣りブログ ソルトルアーフィッシングへ
にほんブログ村 釣りブログ カヤックフィッシングへ
にほんブログ村 にほんブログ村 釣りブログ 北陸釣行記へ
にほんブログ村 ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 俺のブログより面白いブログが上にあります。ぽちっと押してね。 押した方には大物釣れる券を進呈!!(笑)
※カテゴリー別のRSSです

スポンサーリンク



上記のお知らせは30日以上更新のないブログに表示しています。
記事を更新するとこのお知らせは表示されなくなります
  

Posted by naturum at

2012年03月17日

ラッキーのあとのアンラッキー

昨日はいろいろあって、本当に大変な一日だった。

15日に軟式テニス部の中3男子と中央公園でテニス対決。

上ちゃんと組んで6-4で勝ったんだが、サーブ打つときに膝に違和感が生じた。

少しの痛みを堪えながらのテニス。途中で膝にふんばりがきかなくなって大転倒。

それからビッコひきながらテニス続けていた。夜はカラオケでフィーバー。

あんまり膝がおかしいので、昨日の朝に近くの整形外科へ。

レントゲンの後の診察で、膝に水がたまっていることが判明。

「今から水を注射器で抜きますが、水の色が黄色ならたいして問題ないです。でも血の混じった赤なら、靭帯損傷など内部の出血が考えられますので、手術ということもあります。」

ええっ、もうすぐ沖縄旅行なのに、手術はまずい・・・。

そして膝に針が。


「あらあら、あらあら、久保田さん、真っ赤ですよ。」と医者。

「これはまずいですね。午後からMRI撮りましょう。」

ああ、赤い、俺の膝の水が赤い・・。

夕方の授業は上ちゃんに頼んで、無味乾燥なMRIに一時間ちょい。

結果、靭帯損傷と半月板に傷。大けがではないが、安静にしていなさいとのこと。

松葉杖を渡された。ガーン。

画像


人生で二度目の松葉杖。前はスキー転倒による靭帯損傷。

夜の授業は松葉杖つきながらの授業。非常にやりにくい。座っていると板書できないしなあ。

こんなときに上ちゃん、「さて、卓球でもしますか。今なら勝てそうだし。」

おいおい。落ち込んでいる俺をそこまで叩くか。

まあ、俺のタフガイぶりを知っているから何だろうな。

今日もこれから病院へ。いい診断が下されますように。

カヤック乗り続けられることを祈ります。  

Posted by kubogon at 09:23Comments(0)人生

2012年03月06日

入試そしてテニスそして温泉、たまに仕事。

今朝は早朝から小松高校へ入試応援。

みんな欠けることもなく、元気に来ていた。念は送っておいたので、しっかり書けよ。

久しぶりに朝マックしてから中央公園でテニス。なんか寝違えたみたいで首が回らない。

悪い運はどうやら俺が引き受けたらしい。みんなテストはきっとできるぞ。

画像


ここのところ毎日ブログ更新している。たいしてアクセス数のないブログだけど、書かないとあちこちで更新しろと言われるので、意地になって毎日更新してみている。

しかし、そんなにネタもないんだよね。

ネタ切れ老人。


戦国バサラのこと書いてもつまんないし、海にも出てないから釣りもしてないし。

あ、今日は寝違い治すために山代の古総湯で長湯した。その後に見知らぬ小路を探検してみた。

そんな小さなことも新鮮で楽しかったりする。

昭和っぽいアパートが廃墟みたいになっていたり、空き地に壊れた自転車が
うち捨てられていたり。なかなか風情がある。

画像


やはり年取るとチイ散歩やぶらタモリみたいなものが似合ってくるのかな。

歩いて痩せるか。  

Posted by kubogon at 23:29Comments(0)人生

2012年01月04日

Harvest ( 収穫 )

年の暮れに昔の教え子と会った。

シップスの初代卒業生の女の子だ。Facebookで連絡とって、お茶することになった。

11年ぶりに出会った彼女はとても美しくパワフルな女性になっていた。

久しぶりだったので、いろんなことを聞いた。なかなかタフな11年間。

小松高校を出たあと、アメリカの州立大学に入学。それも日本人の多いところだと甘えが出るというので、殆ど日本人のいない地域を選択。

数学が苦手だったけれど、自分の取りたい学科のために数学が必要と分かり、猛勉強。テストは全て100点で通過。

途中で提携大学の香港の大学に編入、インターンシップ制度を活かしてホテルマンとして半年勤務する。

その間に中国語をマスター。帰国後はみんなの笑顔を見るにはホテルより日常の住宅が大切と気づき、リクルートに入社。現在バリバリの営業マンとして働いているという。

26歳で三ヶ国語マスターし、いまだ伸び盛り。刺激になったなあ。

自分が教えた人間が自分を超えていく。これぞ塾講師の醍醐味。

小さな苗だった少女が立派な枝ぶりの大樹になっていた。こちらにとっては大きな収穫。

凄いなあ、と思う気持ちとまだまだ負けてられないなあと思う気持ちが湧いてくる。

「やはり世界に出てみないと分からないことが多いです。日本の若者はもっと海外経験した方がいいですね。」と彼女。

俺も世界をいろいろ見てきたが、その都度、自分の弱さを思い知らされ、成長を余儀なくされた。

ぬるま湯の中で、「大変だ、大変だ」と騒いでいる場合ではない。

吹雪の中を顔を上げて歩いていこう。まだまだ伸びる余地は俺にもある。

画像

  

Posted by kubogon at 19:30Comments(0)人生

2011年12月27日

年の暮れにあれこれ思う。

賢い子たちに共通するのは、好奇心が強いということである。

数学の問題集渡しても、習ってないところまでやってきたりする。

かたや出来ない子たちは、「この範囲までやってきなさい。」と言ってもやってこない。

形だけ少し埋めたり、答えを丸写ししたり、とにかく体裁だけ整えようとする。

これはまるで会社そのもの。

できる社員は言われる前に気づいて、こちらの要求以上のことをやってくるし、ダメ社員は言われたことすら満足に出来ない。

大局を見られない視野の狭さがいけないのだな。

俯瞰できるような高い視点を持ち合わせてない。親の教育の問題である。


ところで、先日母の着物を妹たちとかみさんで整理していたときのことだ。

着付けの先生だけあって、下手な呉服屋より着物がある。形見分けにいろんな人たちにあげるものを考えていた。

画像



いくつか見たことのない着物があり、そこに母の字で「○○へ。」と孫たちの名前が書いてあった。

渡すつもりでいたが、病のせいで渡せなかった着物がそこにあった。

見慣れた母の文字と届かなかった孫たちへの愛が涙を誘う。

妹たちはそんな着物が出てくるたびに号泣。俺も半ばもらい泣き。

一通り整理が終わったあと、妹二人とかみさんと俺で卓球のダブルスの試合をやった。

下の妹は中高と卓球部だったのだ。なかなかいい試合。みんなでゲラゲラ笑った。

「そういえば、初詣の帰りに塾でお母さん交えて卓球したねえ。」と妹。

あの時の母が大声で腹を抱えて笑っていたことを思い出し、またしんみりとする。


もうすぐ正月が来る。大晦日に家族の女子総出でオセチを作っていた光景が懐かしい。

味は妹やかみさんへと引き継がれており、それがせめても慰めだ。

さて、年末に向けて冬期講習頑張るか。
  

Posted by kubogon at 18:50Comments(0)人生

2011年12月09日

ライブと三回忌

日曜に母の三回忌をとりおこなった。

その際に親戚のユージ君と妹から「プログ更新してないね。」とダメ出しされてしまった。

なんというかいろんなことがあり過ぎて、あれもこれも考えているうちにその情報量の多さに嫌気がさしてしまい、書くことが億劫になってしまうのだ。

とりあえず最近のことからだけでも書いてみよう。


SWINGというイケメンマスターと美人奥さんがやっているナイスなジャズバーで、土曜の夜に沖縄出身のJAZZシンガー大城蘭さんのライブがあった。

とあるきっかけから知ることになった大城さんだが、彼女のお兄さんが加賀にいることが分かり、お友達になって飲みに行った。

ライブは一番乗りで、ギネスの黒ビール飲みながら、開演を待った。開演前には満席に。さすがだ。

大城さんのお母様も来られていて、お友達になった。今度沖縄の穴場教えてもらおうっと。来春も行くし。

ライブはウチナーグチ(沖縄の方言)のジャズという他では聞けない心に沁みるものだった。



二時間ちょい、夢の世界で美味い酒と太陽に祝福された歌声に酔いしれてしまった。

ライブ後にゆのくに天祥の若おかみとともに写真撮ってもらった。

画像


美人二人にデレデレの俺。まあ結構酔ってもいたし、仕方ないか。サイン入りのCDも購入。

翌日はゆのくに天祥で母の三回忌。あれからもう二年も経ってしまった。

今年父も亡くなり、実家に住むものがいなくなったので、妹たちといろんなものを整理しに行っている。

冷凍庫の中から母が昔作った山菜料理が出てきた。解凍すれば食べられる。

下の妹がそれを欲しがった。凍結されていた母の味。

いまだに思い出しただけでも泣いてしまうのに、手料理なんか食べた日には脱水症状が起きるぐらい泣いてしまう。

喜んで妹に譲ることにした。


三回忌で親戚の前で挨拶するときに、姪っこが「おじさん、また泣くぞ。」って顔でこっち見てた。

気合で涙をこらえた。そんなにいつも泣いてたまるか。

画像



実家に行くと母の育てていたサボテンが枯れているのを見るのが辛い。

家の中で帰らぬ主を待ちながら、一滴の水ももらえず枯れてしまったのだ。

冬は寒くて海にも出られないので、どうしても湿った気持ちになってしまう。

だからブログも書きたくないのだけれど。

少女時代も日本捨ててアメリカに勝負かけてるみたいだし。

さて、そろそろ冬期講習会だ。生徒には暗い顔なんて見せてられない。

がんばれ、俺。
  

Posted by kubogon at 11:53Comments(0)人生

2011年09月26日

祭りの後の寂しさ

こいこい祭りが終わった。

祭りが終わるとなんだか力が抜けて、秋を受け入れる気持ちになるから不思議だ。

山中温泉のこいこい祭りは、中学の同級生が本陣という仮説テントを組み、そこで一日飲み明かす。

同級生だから吐ける本音がある。グチも少し出る。

そろいの法被を着て昔の自分たちを少し取り戻す日だ。

画像


今年は従弟のくにおう君が初老で、神輿担いで餅まきしていた。

見に行ったら、すでにベロベロ。祭りの間、町の男衆の殆どが酔っ払いだ。

画像


夜に自分の本陣で飲んでいると、酔っ払った同級生の一人がこうつぶやいた。

「おまえの母ちゃんはほんとすごい人やった。」

彼の母と俺のお袋は友人で同じ夜金庫仲間だったのだ。

「俺が進路で迷っていたとき、一番本気で心配して叱ってくれたのがお前の母ちゃんだった。」

「うんうん。すごい人やった。俺もいまだに超えられん。」と俺。

「お前んちにいつ行っても飯食わせてくれたしなあ。」と周りのみんなも言う。少ししんみりした。

いつもならこいこい祭りにお袋が柿の葉寿司を作って差し入れてくれるのだが、そのお袋も今はいない。

今年はかみさんと妹が代わりに作って差し入れてくれた。味はきちんと引き継がれていた。

画像


いろんな人と祭りで会う。昔の教え子が大人になってそこにいる。化粧も上手くなっている。

とあるお母さんから「息子が東北大に入れたのは先生のおかげだ、あの塾に行ってなかったら今の自分はない、と言ってました。本当にありがとうございます。」と頭を下げられた。

こんな風に言っていただけるのが一番の幸せだ。人を作るのはモノを作るより難しい。

知り合いの外人さんたちが祭りに遊びにきたので、初老の本陣へ連れて行き、おでんと酒を振る舞った。

フランス人にアメリカ人、カナダ人にイギリス人、みんなでおでんをつつき、山中節で踊った。

画像


二日間祭りは続き、そして終わった。

祭りの後はいつも寂しい。

露店は売り残しを作らないように半値でモノをさばいていた。

画像


昔に比べればかなり規模も小さくなったが、やはり祭りはいつもハレの場だ。

来年また同じ思いでこいこい祭りを迎えることだろう。  


Posted by kubogon at 09:17Comments(0)人生

2011年08月05日

恐怖の先にあるもの

この間、同級生のオヤジたちとバス旅行に行った。

52才の馬鹿オヤジどもは、朝から酒を飲みまくり、くだらない話で盛り上がっている。

頭は薄くなり、腹も出てきたが、みんな昔と基本は変わっていない。

釣り好きも多かったので、カヤックフィッシングの楽しさをアピールしておいた。

「ひとりで海に出るんやろ、あんな小さな船で。怖くないんかい?」と友人。

「もちろん怖い。怖いからヤバイと思ったらすぐ逃げて帰る。」と俺。

そういえばバイクに乗っているときも、「そんな不安定な乗り物、怖くないのか。」とよく聞かれた。

「コケたら、大怪我するんでしょ。」とも言われた。確かにそのとーり。

海外一人旅が多く、タイ、インドネシア、フィリピン、エストニア、フィンランド、ベトナム、モンゴル、いろんな国を旅して歩いた。

「言葉の通じない国をひとりで歩いて怖くないか。」とこれもよく聞かれた。

確かに夜中に小路に連れ込まれて、金品を奪われてもおかしくはない。

どうやら俺のやることは人から見て危ないことだらけらしい。

ふと気がついたが、そういう質問をしてくる人はサラリーマンの人が多い。

考えてみれば、塾なんて中小企業、社会の荒波に揺れるボートのようなもの。

リスクのこと考えていたら、開業なんてできやしない。

おかげで現在、上司もストレスもない気ままな暮らしをしていられる。

自由にはリスクがつきもの。安全で不自由な生き方を選ぶか、危険を乗り切って自由に生きるか。

これは価値観の問題だな。

人生なんて一度きり。怖がっている間に体も動かなくなってしまう。

恐怖より好奇心だぜ、ベイビー。どんどん世界に触れてまわらなきゃ。

晴れて風のない朝なんてベッドの中にいるのがもったいなくて、4時過ぎから海へ出てしまう。

するとこんなに美しい空に出会える。

画像


今朝も5時には海の上。サカナはあんまり釣れなかったけれど、水平線に向かって漕ぎ続ける俺はサカナより自由な気分であった。

PS 小さいサカナ釣れたけど。

画像
  

Posted by kubogon at 11:15Comments(0)人生

2011年06月06日

都会に忘れてきたもの。

五月末に上京したときの二日目。

教え子笹木くんの結婚式に参列した。

出会った当初は小4で、本当に生意気で口ばかり達者なやつだったが、今は有言実行タイプの恩に厚い男となった。

かれこれ20年、一人の男の成長を見守ってきたわけだ。

彼は自分が思っているよりずっとずっと逞しい男になっていた。

式は友人たちの愛に包まれた感慨深いものであった。

僭越ながらスピーチさせていただいたが、少しウケていたのでまあ良かろう。

当時の教え子たちも数人きていたので、記念写真をパチリ。




二次会は若者たちの集まりなので遠慮して、夜は昔の部下たちと飲んだ。

二日ほど前に急に思い立って声かけした割には10人ほど集まってくれ、とても懐かしく嬉しかった。

自分が上司としていかにいい加減だっだか、そしてみんなに愛されていたかを深く思い知ることとなった。

「夏期講習中にビルの屋上で日焼けしてましたよね。オイルまで塗って。」

「タイムカードを誰よりも早く押して帰ってましたよね。」

「あちこちでケンカ売って、みんなヒヤヒヤもんでしたよ。」

などなど。

俺はバカみたいに子供っぼく、反体制がカッコイイと思っていたので、いつも社長や本部長に逆らっていた。

ある時、それが原因で降格されることとなったらしい。(よく覚えていないのだが・・)

新しく来た上司に俺の部下たちは一言も口をきかず、彼はいたたまれなくてその部署を去ることとなる。

結局、俺が復帰することとなったのだが、そんなに一枚岩となって俺を呼び戻してくれたみんなに心から感謝している。

俺が当時作りたかったのは「梁山泊」。

一芸に秀でた連中を集め、他にはない塾にしたかったのだ。もちろん大手塾のマニュアルなんぞ糞くらえで。

あの頃はいろんなものと戦っていた。

そしてそれを引き継いで、いまだに戦い続けているものたちがいる。

このことが俺の心を熱くした。

まだ老いてはいないし、もっと激しく戦える。

田舎暮らしで半分温泉ボケしかかった心のいいカンフル剤になったようだ。

俺という人間に関わった人たちがみんな幸せになれますように。

そのためには俺はもっともっと俺らしく強く逞しく新鮮でいなければならないのだ。

何も恐れずどこかへ向けて足を出そう。

東京に忘れてきたものを手に入れることの出来た有意義な上京だった。

今回の一曲はめちゃめちゃ夏らしいこの曲。

シュガー・レイの「Every Morning」



  

Posted by kubogon at 16:42Comments(0)人生

2011年05月23日

不思議な一日

土曜は不思議な日だった。

スクーターで走っていたら、蝶をはねてしまった。それもアオスジアゲハ。

スクーターの前に飛び出してきて、フロントに張り付いてしまったのだ。

そっと翅をはがして逃がしてやった。




あんまり天気が良かったので、片野海岸へ泳ぎに行ってみた。

すると多くの人たちが何か拾っている。





荒れた波で打ち寄せられたワカメとモズクだ。

近くのおばさんに袋もらって、いそいそと俺も拾い集めた。

天然のモズクで作った三杯酢の美味しかったこと。






海から帰ろうとしたら、富山ナンバーの車で東南アジア系の人たちが20名ほどやってきた。

海水浴の季節でもないのになんじゃらほい。

英語で聞いてみたら、マレーシア人だとのこと。

モズク拾いを聞きつけたか。




ということで、アオスジアゲハをはねて、モズクを拾い、マレーシア人の団体と遭遇するという世にも奇妙な土曜日でした。

今回のお薦めは「大城蘭」。

日本のノラ・ジョーンズと言われているらしい。

この曲好き。

「ビンセント」



こんなきれいな人です。

http://www.cdjournal.com/i/cdjpush/ohashiro-ran/1000000132
  
タグ :大城蘭


Posted by kubogon at 23:04Comments(0)人生

2011年05月16日

父の死

ついに父が死んだ。

呼吸不全に因る死だ。苦しい死に方だ。

13日の金曜日に葬儀をとり行い、つつがなく納骨まで終了した。

妹たちは棺に花を入れながら泣いていたが、自分の目から涙がこぼれることは一度もなかった。

小学校時代の旧友が受付をやってくれ、その後で棺を覗きこんで、「腹立つけど、おまえんちの葬式だけは泣いてまうわ。」とこぼしていた。

このときが一番ぐっときたかもしれない。

父に対して負の感情が多いことは前回のブログでも述べたが、今日は故人となったので、少し褒めておこう。

葬式の時に韓国の人や中国の人が遥か遠方からかけつけてくれた。

上海から飛んできてくれた人もいた。「おとうさんにはお世話になりました。」とのこと。

父は昔から外国人に世話を焼くのが好きで、カナダ人をホームステイさせたり、韓国の人を夕食に招いたりしていた。

自分が海外放浪に目覚めたのも、うちの娘が英語だけやたら出来るのも父の影響があるせいかもしれない。

彼は語学に堪能で韓国語も英語もそこそこ使いこなせていた。

幼い頃は、外人と英語で話す父を誇りに思ったこともあった。

人生のピークが30代で終わってしまった人だった。

さぞや無念な人生だったことだろう。

同じ轍を踏まぬように生きようと思う。

写真は36歳頃の俺。今に比べチョー若い。そして若干邪悪でとっぽい。


  

Posted by kubogon at 22:49Comments(0)人生

2011年05月09日

チチ、キトク

昨日の夕方、金沢の病院から電話があった。

「お父様の呼吸数が減少してきているので、すぐに来てください。」

慌ててかみさんと娘二人連れて病院へ。

大阪の妹にも連絡して至急向かうように伝えた。

筋萎縮性側索硬化症という難病で昨年末に倒れた父は殆ど植物状態だった。

体中の筋肉が衰えていく病気で、手の打ちようがない。現代医学でも治せない病気だ。

医者は春まで持たないといっていたが、もう五月。いつ逝ってもおかしくはない。

色とりどりのコードにつながれた父は、苦しいそうに息をしていた。

息をすることは息をしないことより大変そうであった。

近くの機器はピコピコと危険を知らせる異音を立てている。

医者も看護士ももうこれまでだと思っているのか、その程度は飛んでこない。

「おとうさん、いっちゃん来るまで頑張るんやよ。」と上の妹。

下の妹の到着までは生きていてもらいたいらしい。

何度か止まりかけた心臓がそのたびに息を吹き返す。

俺はもうこんな状態では、人としての尊厳も何もあったものではないので、早く楽になった方がいいのに、と冷ややかな心で見ていた。

父はある意味かわいそうな人だ。

両親と楽しそうにしている姿を見たことがない。

きっと愛された経験がないのだろう。人を愛する術を学んでこなかった。

母に迷惑かけるだけかけて、いろんなことから逃げ回っていた父。

舅や姑にいたぶられる自分の妻を見るのが嫌さに家に寄りつかないことも多かった。

そんなとき、いつも俺が間に入って母を守り続けた。孫という立場を利用してだ。

だから、俺は父には憎しみの感情しかない。

死にかけている父を見れば、涙の一つも出るかな、と思ってもみたが、まだ許せてないらしい。

家族から殆ど愛されることなく、ただ威張りちらして、周りの人からも敬遠されていた父。

弁がたつことが武器で、いろんな人を言い負かせて自分を誇示してきた父。

そんな父が一番最初に失った機能が話すことだったというのも、無理ないのかもしれない。

深夜まで呼吸を見守っていたが、下の妹の到着とともになぜか体調を復活させ、死ぬ気配を見せなくなった。

最期まで往生際の悪い男だな、とつくづく思う。

人にはいろんな人生があるが、やはり人から愛されるってことは大切なことである。

暗い話の後はお口なおしに、少女時代の新曲でも。



  
タグ :少女時代


Posted by kubogon at 18:41Comments(0)人生

2011年03月23日

消えた単一の謎。

今朝、結婚して子供もできた埼玉の元教え子の女の子から電話があり、「単一電池が全くないんです。そちらにあったら送ってくれませんか。」とのこと。

夜に停電になるため、非常用のLED付けているが、それが単一なのだと言う。

かわいい教え子の頼みなので、「こっちにはちゃんとあるよ。何個でも送ってやるよ。」と偉そうに啖呵切った。

昼過ぎにケーズ電機に行くと、あれ、ひとつもない。

慌ててコンビニ行くと、ここにもない。

どうしたんだ単一。

安請け合いした手前、車であちこち探し回り、大聖寺のクスリ屋さんで新品12個ゲット。

塾で買い置きしてあった4個とあわせて16個をどうにか確保し、すぐに送った。

俺の知らないところで、加賀市でも物不足になっていたんだね。

きっと俺みたいにあちこちから頼まれて、みんな買いあさったのかなあ。

いつになったら電池の供給が増えるんだろう。

ヤフオクで単一電池数個を5800円で売ったバカなやつまでいるし。

こんなときに金儲けを考えるヤツは下衆ですな。

  

Posted by kubogon at 16:35Comments(0)人生

2011年02月26日

Happy Wedding

東京の大手塾にいたときに、いきなり埼玉の上福岡の支部を任された。

埼玉への初進出ということもあり、会社の命運を懸けた支部展開だった。

こういうときには鉄砲玉が行かされるもので、一番タフそうな俺に白羽の矢が立ったと言うわけだ。

右も左も分からぬ埼玉で、初めての教室運営。

それでも負けず嫌いの俺は、確実に生徒数を増やし、あっという間に生徒数も300名を超えた。

そんな中で一番楽しいのが、小4の生徒たちを教える授業だった。

かわいい年頃の小4だが、その中にひときわこまっしゃくれた生徒がいた。

ああ言えば、こう言う。こう言えばああ言う。とにかく小4のくせに弁が立つ。

国語はずば抜けてできたが、算数はピヨピヨ。

そんな彼が中学入試で立教に合格したときは、我が子のことのように嬉しかったことを覚えている。

その後も何かと連絡をくれ、大学も立教へ進学。その後は国語力を活かして出版社へ。

そんなヤツから、先日電話があった。

5月に結婚すると言う。「先生、ぜひご参加ください。ついでにスピーチもお願いします。」とのこと。

うれしいなあ。うれしいじゃないか。

こんな石川に帰っちまったオヤジのことをまだ恩師として扱ってくれるなんて。

この間まで、問題解けないと癇癪起こしていたガキが、もう結婚かよ。

光陰矢の如し。俺も老けるはずだ。

自分がこの世に存在したことで、幸せになった人が、不幸になった人より圧倒的に多いと思う。

あ~あ、生きてて良かった。

ということで幸せな気分になれる曲を。

  

Posted by kubogon at 16:33Comments(0)人生

2011年01月21日

本気のダイエット

前にも書いたが、現在ダイエット中。

体重がMAXの73キロになったので、本気でやることにしたと宣言したが、実際頑張っている。

日頃からデブとバカは生活習慣病と言い続けている俺としては、死んでも太ってはならない。

「オオカミは生きろ、ブタは死ね」ってよく書いてたしなあ。

痩せることは簡単で、摂取カロリーより消費カロリーを増やせばいいだけ。

毎日1600kcalぐらいに抑えて、きちんと筋トレと有酸素運動を行うだけで簡単に痩せる。

有酸素運動には前回紹介した「肉弾」というゲームが最適。楽しみながら汗かける。

別に特殊なクスリも何もいらない。ビリーも要らない。もういないけど。紅茶キノコみたいなブームだった。


俺はいじっぱりなので、やるときはちゃんとやる。うちの塾生みたいなもんだ。

夕食は炭水化物なし。野菜と春雨スープぐらい。酒も飲まない。つまみも食べない。

確かに夜、腹は減るが、実のところ空腹というのは慣れるものである。

夏にフラットなおなかにジーンズはいて、バイクに跨る自分をイメージしているとわくわくしてくる。

春になればカヤック漕げるので、またいい筋肉もつく。

やはり自分をカスタマイズするって大切なこと。この体と頭からは逃げられないのだからね。

痩せてくると考え方や行動がポジティブになってくるのがはっきり分かる。

めんどくさいことから逃げなくなるし、やたら横になったり座ったりすることも減る。

目標は毎月二キロ減。三月末までには67キロまでしぼる予定。

頑張れ、俺。

今回は最近お気に入り。若きカントリーシンガー、テイラー・スイフト。180cmの長身で超かわいい。

アメリカでグラミー総ナメしたほどの実力派。


  


Posted by kubogon at 11:36Comments(0)人生

2010年11月17日

自殺する前にやってみること

テレビでは、松平健の奥さんの自殺の話題で持ち切り。

昨夜のテレビでは学級崩壊で自殺した新任女教師の話を取りあげていた。

小六のハーフの女の子がいじめで自殺した話も記憶に新しい。


自分はきっと人より繊細で敏感で情緒あふれる人間のはずだが、自殺だけは生まれてこのかた考えたことがない。

いじめられたこともあったし、壁にぶつかったことも何度もあった。人に裏切られたことももちろんある。


でも、一度も死にたいと思ったことはなかった。

それはひとえに母のおかげかな、と今になって思っている。


母は旅館の女将という激務と母親役と、遊び歩いている父の変わりの父親役まで引き受けて、なおかついつも朗らかな人だった。

睡眠不足でふらふらしながらも、子供へのクリスマスプレゼント買うために内職していた姿を今も思い出す。

こんなに深く自分を思ってくれる人がいるのに、死にたくなるわけがない。

そんな母を早く楽にしてあげたいと思いながら、大きくなったようなものだ。泣きごと言うことなんか後回し。


その母も昨年末他界し、もうすぐ一年がたとうとしている。

今度は自分が父として、自分が母から受け継いだ朗らかさと愛の深さで家族を包み込む番である。

そういう俺はかみさんの優しさのおかげで、自由にさせてもらっているようなものだけど。


かみさんも天真爛漫を絵描いたようなお方で、そのおかげか、うちの娘たちもどう考えても自殺しそうな気配すらない。今を精いっぱい生きて楽しんでいる。

日曜のたびにデートだとかぬかしやがって、取り残された老夫婦は二人でチイ散歩して時間を共有している。

話はなんだかあちこん飛んでしまったが、要するに生きていたいと思えるだけの存在の人が周りにいれば、死を早めることなどないんだろうってことだ。

ちなみに自分がもし死にたいほど辛い目に遭ったら、まずサラ金かどこかで数百万借りる。そしてインドへ高跳び。

別にフィリピンかポリネシアの小さな島でもいいけど。

物価が安く、一年20万ほどあれば暮らせるので、10年ほどは遊んで暮らせる。

10年経てば、大抵のことは過ぎ去っているし、南の島ののんびりした暮らしの中で死にたい気持ちもいつの間にか消え去っていることだろう。

中高年の男性の自殺者が一番多いらしいが、死ぬくらいなら高跳びしてみてはどうですか。


自分を悩ませていることは、殆ど自分の外側で起きていることで、それを内側に取り込むから人は辛くなる。

誰も自分の心には入り込めないのである。

サイモンとガーファンクルの歌で、「I am a rock」という歌があるが、自分は岩だと思っていれば、これも大抵のことには耐えられる。

外界で起きていることは大きな映画を見ているような感覚でとらえ、一度世界を客観視すべきである。

人間どうせ一度は絶対死ぬんだから、そんな貴重な体験は後にとっておけばいい。



夜明けの海で、カヤックに揺られ、朝焼けを見ながら釣り糸を垂れる。

こんな風景を楽しんでしまったら、まだまだ到底死ねないな、と思ってしまう。


そして、最後に素敵な女性ヴォーカルを。

秋にはこんな歌が似合います。


  

Posted by kubogon at 10:03Comments(0)人生