2010年04月13日
桜散りてのち思ふこと
しだれ桜が好きだ。
ソメイヨシノあたりより、ぐんと色気がある。
「まさをなる空よりしだれざくらかな」
富安風生の手によるこの句は、単純明快にしてそのコントラストが強烈である。
春になるたびにこの句を口ずさんでしまう。

その桜も、そろそろ花はその盛りを終え、道端の雨に流されて、側溝の縁などにへばりついている。
そんな光景を見ていると、昔のいろんなことを思い出す。
小学生の低学年の頃、春になるとうちの旅館にも新しい人が入ってきた。
大抵はおじさんか中年の仲居さんばかりだったが、ある年、バーテンダーだという青年がやってきた。
昼や夕方は暇なその青年から、俺はビリヤードを習うことになった。
父は遊びと仕事で忙しく、息子と遊ぶような人ではなかったので、大人からモノを習うということは新鮮であり、何か一人前になったような感じがして嬉しかった。
まずはキューの握り方と左手のブリッジの作り方を教わった。

習ったことを完璧にするために、鉛筆を三本ほど左手の親指と人差し指で作った輪の中にいれ、授業中もブリッジを固めるトレーニングをしていたことを覚えている。
おかげさまで今でも玉を突くフォームだけは、とてつもなくかっこいい。
当時はナインボールなどなく、四つ玉という赤と白の玉四つをつくシンプルなゲームが主流だった。
友人を呼んできて、毎日のように旅館の地下でビリヤード熱中したものだった。
あんまりやりすぎて、どんなものを見ても入射角と反射角を計算してしまうようになったほどだ。
当時、小学生の四つ玉大会があったら、かなりいい成績出せたと思うのに残念だ。
卓球、麻雀、ビリヤード、旅館で覚えた遊びだけが、今も得意なのである。
ソメイヨシノあたりより、ぐんと色気がある。
「まさをなる空よりしだれざくらかな」
富安風生の手によるこの句は、単純明快にしてそのコントラストが強烈である。
春になるたびにこの句を口ずさんでしまう。
その桜も、そろそろ花はその盛りを終え、道端の雨に流されて、側溝の縁などにへばりついている。
そんな光景を見ていると、昔のいろんなことを思い出す。
小学生の低学年の頃、春になるとうちの旅館にも新しい人が入ってきた。
大抵はおじさんか中年の仲居さんばかりだったが、ある年、バーテンダーだという青年がやってきた。
昼や夕方は暇なその青年から、俺はビリヤードを習うことになった。
父は遊びと仕事で忙しく、息子と遊ぶような人ではなかったので、大人からモノを習うということは新鮮であり、何か一人前になったような感じがして嬉しかった。
まずはキューの握り方と左手のブリッジの作り方を教わった。

習ったことを完璧にするために、鉛筆を三本ほど左手の親指と人差し指で作った輪の中にいれ、授業中もブリッジを固めるトレーニングをしていたことを覚えている。
おかげさまで今でも玉を突くフォームだけは、とてつもなくかっこいい。
当時はナインボールなどなく、四つ玉という赤と白の玉四つをつくシンプルなゲームが主流だった。
友人を呼んできて、毎日のように旅館の地下でビリヤード熱中したものだった。
あんまりやりすぎて、どんなものを見ても入射角と反射角を計算してしまうようになったほどだ。
当時、小学生の四つ玉大会があったら、かなりいい成績出せたと思うのに残念だ。
卓球、麻雀、ビリヤード、旅館で覚えた遊びだけが、今も得意なのである。
Posted by kubogon at 21:18│Comments(0)